2010/5/3 更新 印旛新川へら鮒の起源 監修 奥ちゃん |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
奥ちゃんです 今日はへどろで釣ってま〜す |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
印旛新川 へらぶなの起源 限定日記 2010年05月01日09:37 |
||||
印旛新川では、今、ヘラブナの産卵が行われている。 ボクは、産卵期のヘラブナ釣りは、遠慮気味だが、その理由について考えた。 添付資料の写真は、1990年の「釣りサンデー別冊 ヘラブナのすべて」からの写真である。 この写真に写っているのは、河内ブナ同士の交配により出現する尾ひれの長い河内ブナである。 河内ブナは、ギンブナとゲンゴロウブナとの交配種。 そして、この河内ブナの中から、選別、交配させたのが、現在のヘラブナになる。 ところが、なんと、印旛新川においては、この種(尾長河内ブナ)が生存しているのである。 昭和10年前後に、千葉県佐原地方で、河内ブナの養殖池から、洪水により利根川に大量に河内ブナが流出した。 この洪水による流出と食料不足解消の目的で、印旛沼に放流された河内ブナが、現在の印旛新川のヘラブナの源流となる。 放流へらの半ベラも天然、地ベラも、結局は、ルーツは河内ブナ。 だが、高値で取引されるのは、へらぶなで、放流されるへらぶなは、安価な半ベラが多い。 よって、新川には、半ベラが多く生存するようになる。 だが、凄いことに昭和10年から約70年の歴史にあって、しっかりと 河内ブナの原種同士の交配による魚種が、印旛新川には生存する事実。 河内ブナの美形は、ヘラブナ、崩れたヘラ(半ベラ)は、放流。 この尾長ヘラは、ヘラブナ同士、半ベラ同士では、こうならない。 体型の選別を受けてしまったもの同士では無理で、上段の河内ブナ同士の交配と説明されていた。 でも、この河内ブナに似たフナは、新川にはいる。写真上段。 ボクだけかな。 この70年ほど受け継がれた河内ブナ体型の存続に驚愕するのは。 印旛沼にも、利根川にも、同系の河内ブナ系の体型を持つヘラブナが存在し、交配、繁殖するだろう。 印旛新川に限ったことではないけど。 今、盛んに、抱卵魚、産卵時期の釣りが行われるが、このような特徴的魚体を持つヘラブナの産卵が無事に行われるのを、期待する。 印旛新川は、養殖の放流のみでなく、しっかりと、昭和10年前後に繁殖した河内ブナ。体型は、色々あるのだけど、それらが、地ベラとなり、生存している。 無事に終わって欲しい。 |
||||
はじめに
平成20年の11月にとみじに印旛新川、城橋下で会い運命に変化を感じた奥ちゃんです。 ハーフを100枚ほど釣りヘラブナって簡単。と意気揚々の日々。 しかし、とみじに、「それはハーフだよ」。と、教えていただき、 天狗鼻折れた。と、ガッカリした。 それを機会に本物のヘラブナをと日夜過ごしています。 本物のヘラブナの写真はマスターとみじのネット「ヘラブナの世界」 印旛新川のヘラブナ釣り会、新川慕情の中に写真がありますので、そ ちらをご覧になってください。 奥ちゃんのコーナーでは一般販売された一般書籍からヘラブナを追っ て探っていきます。 題して「ヘラブナの起源」です。 まとめては監修できないので、小口にだします。 参考文献他、文献が沢山、登場しますが、著作権配慮のもと、 タイトルと表紙の発表とし全文抜き出し、前文コピーはしませんので 関心ある方は書籍を手に入れてください。 とみじが写真や水彩画なら、奥ちゃんは書籍と鉛筆画でヘラブナを探 し楽しみたいと思います。 数限りなくヘラブナ関係の書籍はあります。 以下このコーナーを書くにあたり参考にした文献を紹介します。 当コーナーは、片山 和夫さん(東京中日スポーツ新聞社)紹介の 文献と、自分が気に入った書籍を用いて構成しています。 何分、僕が生まれていない頃の書籍もあるので、書籍を見ただけで満 足。 そんな「ヘラブナの起源」です。 参考文献一覧 1、ヘラブナ 生態と釣法 世界文化社 1985年 2、釣百科 松崎 明治編 朝日新聞社 昭和13年 5月 3、魚の釣り方 佐藤垢石著 大泉書店 昭和25年 7月 4、へら鮒釣 つり人社編集部編 発行 昭和34年 10月 5、へらぶな釣り百科 鈴木魚心著 岩崎書店 昭和37年6月 6、ヘラブナ釣り 全 鈴木魚信他 東京書店 昭和43年10月 7、へらぶな釣り入門全 関沢潤一郎 東京書店 昭和44年10月 8、秘伝四季のヘラブナ釣り 増田逸魚著 西東社 昭和45年3月 9、ヘラブナ必釣法 増田逸魚ら 共著 西東社 昭和45年 5月 10、へらぶな釣り事典 内山 静舟ら つり人社 昭和48年 4月 11、川釣り歳時記 秋 季刊マイグリーン 昭和58年 12、ヘラブナのすべて 週間釣りサンデー 昭和59年 13、新 ヘラブナのすべて 週間釣りサンデー 昭和64年 しばらく、続くコーナーですので、よろしくお願いします。 |
||||
とみじの「ヘラブナの世界」に、僕が監修する「ヘラブナの起源」たるコーナーを開設していただいた。
目的は、多々ある釣りのサイトの中に、書籍からの情報を扱うサイトが少なかったからだ。 昭和の初めから、創世記を迎えた野釣りのヘラブナ釣りであるが、群雄割拠というべきか、創世記の頃は、ひたすらに人間離れした才能卓越した人を感じる。仕事しているの、家族いるの、釣りばかりですか?など、おせっかいをする。 終戦は昭和20年、そのころには、もう、ヘラブナ釣りって存在している。誰が、やっていたのだろう。 戦争を知らない僕ではありますが、釣文化が戦争時期と並列して存在していた事に驚く。 ヘラブナは人為的操作により、生まれた魚。 いつから、人為的操作を受けたのか。 ヘラブナが産卵できるようになるのには、3、4年は必要だが、仮に 100年前から、養殖や管理交配を受ける業種ならば、30代重ねた 人為操作を受けていることになる。 猫や犬、馬など家畜なみのサラブレット(純血種)の一族がいると思 う。 一回の産卵時期に数万と言われる産卵。 養殖って凄いなと思う。 いろいろ、一般書、一般販売された古書を用いながら、奮闘しています。 |
||||
僕は、水産学の専門家ではなく、単なるヘラブナファンとして、昭和の書籍よりヘラブナの起源を探そうとしています。
なぜ、昭和の書籍から探そうとしているかというと、平成に入ってから出版されたヘラブナの本には、起源について書かれているものを見ていないためです。 1938年(昭和13年)から1990年(平成元年)までの書籍には、ヘラブナの起源を書いた書籍があるのに対して、1990年から2009年の書籍には、餌や釣り方の内容は豊富だが起源の内容が少ないです。無いわけでは無いだろうから、あるのだろうが、目にしていないので、書籍が集まり次第、載せたいと思っています。 その点、ご意見あろうかと思いますが、そこを踏まえ、読んでください。そして、皆様のヘラブナの一考になればと思っています。 ゲンゴロウ鮒は、ヘラブナだと単に思っていませんか。 そのまま、ずばり、源五郎鮒=ヘラブナと紹介する書籍あり。 あえて、源五郎鮒を養成飼育したものと説明する書籍あり。 ゲンゴロウ鮒に在来種の鮒を交配させ養殖したのがヘラブナと紹介する本あり。 実に諸説多いヘラブナの発生起源です。 週刊釣りサンデーの「新ヘラブナのすべて」1990年には、ゲンゴロウ鮒、養殖種、野ベラと3種が写真付きで掲載されており、源五郎鮒を歴代育成するとヘラブナになる。と書かれています。 これは多くの書籍にある発生説ですが、あえて、古書からの説も紹介してみたい。と思います。 ヘラぶなの起源を、鈴木 魚心著 「へらぶな釣り百科」1962年では、以下のように紹介しています。 (1) 琵琶湖原産である源五郎鮒を採補し、養成飼育して生まれた (2) 琵琶湖原産の源五郎鮒と銀鮒(在来種)とを交配し養殖した (3) 源五郎鮒が琵琶湖以外の環境におかれて、習性、形態その他に 変化が生じて発生した。 と3説を紹介しています。 ・ギンブナにはオスがいない。染色体数が3倍体で雌性発生するから、(2)は、あり得ない。 ・(3)は、全国に放流すれば、みんな、バラバラになり、一様の特徴を持つヘラブナにはならないのではないか。 と、疑問を感じますが、きっと、上記3説はどれも、現実に即した嘘、偽りのない事実を提示されたと思います。 一般向けの釣りの専門書籍が、どこまで、信用できるものか検討が必要ではありますが、信用できる執筆者で信用できる書籍だと思っています。 上記の発生3説を紹介した鈴木 魚心という人は、 「へら鮒釣りの研究」釣之研究社昭和16年発行。 「新興の釣」春陽堂出版 昭和16年発行。 の、2冊の著者。昭和16年以前のヘラ釣り本は、箱釣りが、中心だったが、この2冊が野ヘラ釣りを詳述した開祖となる。それを書いた人。それほどの著者。 この方が、まとめ、発表したものが、間違いに満ちたものであるはずがない。と、思っています。 どんな釣りの本にも、おおよそ、(1)の説が紹介されているから、きっと、迷いどころだと思いますが、時代が進み、色々なことが判明していくと、なるほど、上記3説の正しさを感じます。 結局は、ギンブナの雄が関東には非常に少ないこと。 世にいう3倍体で雌性発生が可能。雄側の遺伝子関与を子孫に残さない。というやはり、昭和初期の研究成果があるから、混乱を生じるのだと思います。 次回は、鈴木 魚心さんのへらぶな発生、起源の根拠たる所を紹介します。 |
||||
◎「印旛新川のヘラ鮒の起源」の前に、ヘラブナの起源を、昭和の書籍から探求、紹介をしています。
昭和の書籍にヘラブナの起源に関する情報が多いことに関心を持つ。 おおよそ、起源説には以下のようなものが多い。 ・源五郎鮒とギンブナを交配し河内鮒がつくられ、人為的交配の結果だから野生のゲンゴロウ鮒と分けるため、河内鮒と呼び、河内鮒の中から、体型優れたものを歴代飼育養殖してヘラブナがつくられた。 など、諸説ありますが、鈴木 魚心著 へらぶな釣り百科 1962年は、以下のような説明をしています。 滋賀県下の供給者である、宇野章太郎氏の説によれば、(1940年説)ヘラブナの大部分は養成にして野性の魚あるも、きわめて少数である。また、源五郎鮒とギンブナとの交配は約100年前から行われていた。と、明治後期からの養殖事情を紹介しています。 そして、昭和11年11月、養殖会誌、第六巻第十号、野中 貞氏が調査した報告「河内鮒の養殖」より、 、、、、、、江原産ゲンゴロウ鮒と在来種とを交配せしめて、いわゆる「河内鮒」の養成を初めたる、、、。と、紹介しています。 これを読むとき、ギンブナは、雌性発生する魚種で、雄の精子は、関係ない。と、読んでしまう。もちろん、ギンブナとゲンゴロウ鮒の交配はない。と、紹介している書籍があるのは事実です。 確かに、ギンブナの雌雄比は非常に偏るわけですが、関東には非常に少ない。と知られているギンブナの雄も、いない訳ではない。 この部分は、現代の科学的な根拠を元に読めば、確かに、ギンブナには雌しかいない地域もある。これを3倍体のギンブナな集団と呼ぶ。 だが、ギンブナには雄雌両性がいて両方の遺伝子を残せる型、これを2倍体のギンブナ集団と呼ぶ。 が、あって昭和の初期には、3倍体のギンブナの存在が脚光をあび、有名どころの先生たちが盛んに説を説かれた。 平成の世にあってこそ、研究成果として、読める内容であるが、皆さんはどうお感じであろうか。 鈴木 魚心は、つり人のいうヘラブナの原種は、琵琶湖産の源五郎鮒であり、源五郎鮒と在来種(マブナ、キンブナ)とを交配したものも、ヘラブナならば、また、源五郎鮒そのものを、養成飼育したものもヘラ鮒である。と、言っている。 鈴木 魚心は、昭和43年 「へらぶな釣り」東京出版で、はっきりと起源を、ゲンゴロウ鮒、河内鮒、ヘラブナは、すべて皆、人為的な作られた魚とし、特に、河内鮒はギンブナとの交配種で、河内鮒から体型のよいものを歴代飼育養殖したと紹介している。 問題は、ヘラブナの起源説(ギンブナとの交配からヘラブナに至る経過)を、釣り本の中でしっかりと書く著者と、書かない著者がいることである。 鈴木 魚心氏が最初に発表し以下に続く釣り師もいれば、そうでない者もいる。 以下、鈴木 魚心氏以外の方のヘラブナの起源を紹介する。 昭和44年「へらぶな釣り入門」東京出版、関沢 潤一郎 著が、その中で、「マブナとゲンゴロウ鮒を交配させ新しい品種を、作り野性のゲンゴロウ鮒と区別するために河内の養殖家が作った魚種の意味で河内ブナとした」と紹介している。 昭和56年「最新 へらぶな釣り入門」丸山 高廣 著 桃園書房 「明治38年ごろ、河内の橋本福松という人が、ゲンゴロウ鮒とギンブナを交配させたものの中から体高の高い個体だけを選抜淘汰して得たもの」がヘラブナというのが、通説になっている。と紹介している。 以上、ゲンゴロウ鮒とギンブナとの交配種が河内鮒、河内鮒の体型の良いものを選抜しヘラブナ。となる流れができる。 しかし、歴史が進むと、遺伝的な解釈が入り、2倍体のゲンゴロウ鮒と3倍体のギンブナが交配するわけがない。 と、ヘラブナー生態と釣法ー世界文化社1985年 のなかで、述べられる。生物学の上だと、遺伝的な問題から、ギンブナとゲンゴロウ鮒は交配しないが理性的な判断と思う時代になる。 ヘラブナー生態と釣法ー世界文化社 1985年は、非常に細かく、 鈴木 魚心 1968年 「へらぶな釣り」東京出版 矢田 敏晃 1984年 「ヘラブナのすべて」週刊釣りサンデー 内山 静舟 羽田 師秀 1973年 「ヘラブナ釣り事典」釣り人社 らの本を使っており、誠に僕の使っている書籍と同様の本、それ以外の本を使って発生説について、定説はなく学問的な解明も容易ではない。と述べている。 1985年から、平成21年に発表された研究やへらぶなの書籍を見るが、さらりと、ヘラブナはゲンゴロウ鮒、河内鮒と経過をたどるとしており、明治38年の検証、2倍体のギンブナはいるか。について、書かれた釣りの書籍は今のところ、見ていない。 平成の書籍に、二倍体のギンブナの記事やヘラブナの起源説に書かれたものを探している。 しかし、生物図鑑はすすんでおり、この2倍体のギンブナについて、生存すると解釈がはっきりしている。 日本淡水魚ミニ図鑑には、遺伝的解釈があり、ネットページ上には、 事実としてのたくさんの報告がある。 僕は、平成の世になって、科学が進歩しそれを見ることができたから、思うのだけど、釣りの解説書を書く方に生物学者がいれば、良かったのではと思う。 結果、ヘラブナの起源とは、昭和初期の科学の根拠をしめさない実話の紹介にあるように、ギンブナの二倍体とゲンゴロウ鮒の2倍体から、河内鮒を育成、その後、ヘラブナという起源でよいと思う。 昭和期の著名な著者らの言うところがやはり、定説であると思える。 ギンブナの雌性発生が騒がれた時、かなり、肩身の狭い思いをした著者らに、時代がすすみ充分、ゲンゴロウ鮒と交配できるギンブナ(二倍体)を証明できましたよ。と報告申しあげたい。 |
||||
多くのヘラブナ釣り人が、迷ってきた半ベラや合いベラの答えを、いきなり解決とはなりませんが、少し、前進したいな。と思います。
まず、ギンブナには、遺伝的に染色体が3倍体という雌のみの集団があります。この3倍体とは雌性発生といって、雄の遺伝子の影響をうけずに、ただ、精子の刺激が必要なようで、のっこみや産卵行動はおこります。が、遺伝子的に子孫に雄側の遺伝情報が入らないため単為発生と呼ばれます。 しかし、ギンブナは2倍体が基本型でこの基本型の2倍体は雌雄がいて、他の動物同様に受精を受け、精子の遺伝子と関与し子孫を残します。よって、雄がギンブナで雌がゲンゴロウ鮒なら、お互いの遺伝情報を併せ持った子孫が生まれます。 だが、地域性があるようで関東地方には、3倍体のギンブナが多く雌のみの集団もあるそうです。 この遺伝子の染色体の数は、交配可能かの目安になり、2倍体の交配相手は二倍体で三倍体が交配相手とはなりません。 すなわち、ゲンゴロウブナは2倍体の鮒ですので、3倍体のギンブナとは交配しないが、学問上の常識です。 しかし、二倍体のギンブナが国内に明確に生存することが、発見され、現実に即した解釈として、2倍体のゲンゴロウ鮒と2倍体のギンブナは、交配し半ベラが生まれるがわかりました。 たったこの、ギンブナには、2倍体という普通の繁殖をするタイプがいるという現実が、なぜか、関東では雌のみの3倍体が多いから、多くの方がギンブナとゲンゴロウ鮒は交配しないを定説にしたと思います。 僕は、ネットで色々と検索を重ねた結果、見つけだしたのだけど、ネットで、「ギンブナ 二倍体」で、検索すると、すぐに検索できる。わかる事実が、なんで、普及しなかったのだろうか。 ゲンゴロウ鮒とギンブナの交配はあり、合いベラは存在する。 しかし、関東では3倍体のギンブナが多いから、ギンブナとゲンゴロウ鮒の交配はおきない。という事実も事実です。 首をかしげる方は、まずは、ギンブナ二倍体を調べようではないか。 そうすると、ヘラブナの発生の背景がわかりやすくなると思う。 ハーフは存在する。 しかし、関東のハーフの発生には、もっと、注意をしないといけない。 次回は、ゲンゴロウ鮒の放流、河内鮒の洪水による野川への放出です。 ゲンゴロウ鮒の原種は、ヘラブナとは外見、ずいぶん違います。 河内鮒は、ヘラブナと外見、似てきます。 |
||||
読んでくださり、ありがとうございます。
ハーフ、半ベラ、合いベラと、釣り人が呼んでいる鮒について、かなりの書籍が紹介しています。 多くは ゲンゴロウ鮒とキンブナ ゲンゴロウ鮒とギンブナ(2倍体) そして、 半ベラと半ベラ 河内鮒とキンブナ 河内鮒とギンブナ(2倍体) もうここまで、交配が複雑になると、わからなくなりますね。 この状態が、きっと、野の河川では、日常化している。と思います。 管理釣り場とは、きっと、ヘラブナを管理しているのでしょうね。 養殖場では選別淘汰し目的ごとに出荷していると思う。 もちろん、河内鮒の体型の良いものを、歴代飼育してヘラブナにしているから、日常茶飯事ではないと思いますが、そもそも河内鮒がギンブナ(2倍体)を使い交配しているから、養殖場で、何万の幼魚や2,3年の中には、優れた体型や特徴を有していない魚もいると思う。 だから選択淘汰とか、選抜とかが必要と思う。 詳しくは、ヘラブナの養殖業の方に聞いてみれば、根拠が早い。と思う。 書籍の中の代表的な物を紹介します。 「月刊へら おいらはカワチブナ」では、大阪の溜池にすむギンブナの雌とカワチブナとを交配させて、その子を得たが大部分はその中間の形態をした交雑種であり、これが合ベラと称するものであろう、、天然種として淀川にもヘラブナとギンブナの中間種が多く棲息しているが、これも合ベラと称するギンブナとの交雑種であろう。と、大阪府淡水魚試験場長も述べている。 まとめながら、思いましたが、琵琶湖には、ゲンゴロウ鮒、ギンブナ(2倍体)、ニゴロフナの3種がいるのに、なぜ、自然交配。自然に合ベラが誕生しなかったのか。 きっと、琵琶湖では、合ベラという現象は大規模に起きなかった。と思う。 理由は産卵場所にあるようです。 表層、深い水底、流れ込む細い河川など、産卵形態により、3種の交配。交雑は起きなかった。 だが、人間の仕業だね。何万年も前からある自然の営みを養殖飼育や放流場所の環境で、100年足らずで、種の存続の危機に追い込むまでに、交雑を進ませた。 まとめながら、琵琶湖は20年前に少しだけ、見ただけで詳しくは知らないけど、琵琶湖に対して、感謝の念を持った。 しかし、残念ながら、ゲンゴロウ鮒の90%の産卵場所だった湖北、早崎内湖の開拓。ニゴロフナの産卵場所である水ヨシ群落の開拓による減少。琵琶湖に入る小河川の護岸工事でギンブナの産卵場所の減少。 昭和の初期には予想もしなかった出来事が、発生するわけです。 ハーフの判別は、マスターとみじのページをご覧になってください。 色々、ヘラブナには、特徴がありますが、ギンブナの特徴と重なるところもあるのは河内フナの子孫だからと思います。 |
||||
奥ちゃんのコメントの一部を抜粋 2009年10月09日 22:04 |
||||
ハーフとは、結局、フナの交雑で、新川もその状態になる。 文献的には、昭和6,8年のゲンゴロウ鮒の印旛沼の放流。 昭和10年ごろの佐原地方での河内フナの洪水での利根川への放出。 そして、戦後混乱期の情報がないが、昭和20年の佐原で野釣り始まる。印旛沼もフナ類が増える。 昭和20年ごろに管理釣り場では、ハーフ論争があり、養殖業者は、ハーフ(河内フナ)の選別、出荷の厳重化をはかり、ヘラブナの特徴である。上口唇、側線燐32枚、体高あるもの、白色の固体維持、流通が始まる。 その際、選別されたハーフが、一般河川に放流。 と、いう流れが今後です。 しかし、とみじと奥ちゃんの世界なので、次に、黄金比率を持つヘラブナ。と題して、なぜ、ヘラブナに心うたれるのか。を。書く。 黄金比率は美の比率。なんと、ヘラブナの鱗の縦、横は、その比率に類似する。頭部とヒレを含めるかは、採寸次第。 |
||||
印旛新川への道・養殖の発生と釣り池 2009年10月09日23:38 明治後期にフナ養殖が始まった。
淀川で獲れた体高の高いゲンゴロウ鮒、ギンブナとの交配、ゲンゴロウ鮒の卵を孵化させた。など、諸説あるが、養殖が始まった。 大正10年ごろに本格的に養殖業に発展し河内フナの名称ができる。 滋賀県の水産試験場や民間の養殖業の成り立ちとして昭和の本には記載がある。 その後、食料確保の目的で、各地にゲンゴロウ鮒の卵や成魚を移植放流とある。大型になり植物プランクトンを摂取するなど餌のいらぬフナとして需要もあったのだろう。 餌いらず手間いらずの粗放養殖(無施肥 無投餌)で、業者が増え、生産過剰になった。 きっと、当時は食用目的だから、繁殖力があり大型化する特性が魅力的で、あえて、口唇や鱗の数、などは書籍に詳しく載っていない。 河内ブナの食べ方が載っている書籍がある。 しかし、河内フナの値段はうなぎや鯉に比べて安く、天然のゲンゴロウ鮒は養殖の河内フナよりも安いから、食用目的の昭和初期の放流はゲンゴロウ鮒の成魚か卵を放流した。と、解説する書籍がある。 そもそも、河内フナは安い魚だが、なかなか釣れない魚として、評判だから、値段が安い分、その補いとして、釣り池。入園料を取って、商売し価格を補うようになり、大阪に釣り池ができた。 その後、東京にも釣り池ができ、入園料をとり、買取り制があり、ギャンブル的要素も加わり、養殖種の買取は釣り池が価格的な流通経路となる。 この東京での釣り池の話も多く書籍に登場する。 明治後期から昭和10年ごろのおおよその歴史だが、書籍をみると、 写真がないだけに、ゲンゴロウ鮒、河内フナの魚体が見えてこない。 しかし、想像だが、きっと、今で言う合いベラ、ハーフであろう。と思う。なぜならば、ゲンゴロウ鮒とギンブナ(2倍体)の交配種だからである。 食用目的で放流。その頃、関東のフナは、キンブナ、ギンブナ(3倍体)が生存。そこに、ゲンゴロウ鮒が入る。 だが、キンブナ、ギンブナ(3倍体)、まとめて、マブナは、 水底の餌を食べ、浅瀬にいて、回遊する。 ゲンゴロウ鮒は、もちろん、植物プランクトンを摂取、底より宙で、沖合いもしくは、水深ある所を生息する。 このマブナとゲンゴロウ鮒は、棲み分けが出来ている。 しかし、産卵場所は浅瀬の水草などで共通、産卵時期も重なり、書籍にはキンブナとゲンゴロウ鮒の交配は可能でギンブナ(3倍体)とゲンゴロウ鮒の交配はギンブナになるという実験報告がありますが、ゲンゴロウ鮒とキンブナは多く交配したのだろうか。 ゲンゴロウ鮒は集団となり、単独種で放流先で生存したのか。 昭和初期に写真があり、普及していれば、魚体確認できるのに、資料不足で、報告できません。 1933年(昭和8年)に、手賀沼と印旛沼にゲンゴロウ鮒が放流されたと紹介があります。 いよいよ、ゲンゴロウ鮒が関東、千葉、印旛沼にやってきました。 添付写真は、ゲンゴロウ鮒と養殖の本です。 |
||||
河内ブナの野べラ化と河内ブナの放流。人為選別を受けヘラブナに。 2009年10月11日09:46 |
||||
昭和8年に印旛沼に手賀沼水産試験場により、ゲンゴロウ鮒の卵または成魚かはわからないが、放流された。
その当時、印旛沼には、キンブナとギンブナ(3倍体)がいて、ゲンゴロウ鮒が3番目のフナ種。繁殖は、同種交配かキンブナとの交配が選択としてある。 その後、昭和10年に千葉県佐原で民間の養殖業家が洪水で、河内フナを流失させたと記録がある。 ここに、利根川の水郷地帯にギンブナとゲンゴロウ鮒の交配種である 河内フナが登場し、爆発的に繁殖する。 植物プランクトンを食べる能力と湖底微生物を食べる能力をもつ尺以上に育つ河内フナ、しかも、一回の産卵で万単位の産卵。 当時、3年間で尺フナ(マブナ)は一枚だったが、今は一日で、何枚も釣れる。という釣り記事があり、マブナの世界の交配種の河内フナの勢いを感じる。 昭和10年からの漁は、マブナや鯉の漁だったから、沖合いにいて、宙の棚の魚種の捕獲する漁がない。という漁師の技の限界があり、 乱獲を招くことが無かった。 植物プランクトンを食べる競合相手はレン魚、当時多くいたか不明だが、無尽蔵にある水草、プランクトンを糧に野に放たれた河内フナは大型化、大繁殖したと思う。 今でこそ、禁忌だが、家畜の糞尿は、植物プランクトンの発生に役立つ。 佐原水郷と印旛沼が近いか遠いかは、わからないが、必ず、時間をかけ て利根川を川上にのぼり、印旛沼に入ると思う。 今でこそ、銚子水門があり、海水の利根川域への浸入は止められるが、当時は無く、汽水域より淡水域に移動するだろうから、やはり、川上に上がる。印旛新川には、川の上、中域に棲む魚種のオイカワがいて利根川から入ると予想できる。 また、限られた水域には、限られた魚しか棲めない。という原則があって、魚が増えると、密集域から疎水域を作らないと、繁殖しないらしい。 養殖池にも大きさに対する数量があって、小さい池で育てられる限界がある。というから、どんどんと棲息場を拡大しないと増えていかない。 昭和12年には、千葉県安食地帯で河内ブナが釣れ始める。 安食まで上がったから、印旛沼にも入り込んだと思う。 今、河内フナと多く書いているが、昭和15年の書籍には、ヘラブナという記載があって、野に放流させた頃からか、河内フナとは、呼ばなくなる。 よって、ここからはヘラブナと書きます。 昭和12年に水郷域に新種のフナ発見とマブナ釣り名人、小林 隆夫氏が新聞をにぎわすが、のちに、ヘラブナとわかる。 当時のマブナ、鯉釣りが主流だった関東に、新種のヘラブナが入ったことで、釣り方や餌、竿など、関西勢と関東勢の論争が多く、昭和初期の書籍には紹介がある。 練り餌では釣れない、うどん。・・・餌論争。 底では釣れない。・・・・・・・・・棚論争。 竿を並べても、、、、、、。・・・・竿数論争・ など、昭和初期は、いろいろ、釣り方を論じてます。 その頃、戦争前。釣りの書籍もあり、それこそ、「新興の釣り」。ヘラブナとなります。 終戦後、釣り池、釣堀では、合いベラ論争が始まります。 食用のヘラブナをより厳格に選別するキッカケでしょう。 口唇、魚体、鱗など、かたちの崩れたヘラブナとして、扱われず、 どんどん、ヘラブナの選別がすすみます。 養殖業の方は、きっと、大変な選別作業をしていたと思います。 戦争、終戦になり、戦時下のヘラブナ釣りは、凄く複雑、国賊と呼ばれつつも、蛋白供給源としてフナを利用。娯楽がなくなり、釣りぐらいは許すなど、紹介多数。 その後、昭和30、40年代にヘラブナの放流が各地の釣り会により行われ始めるが、この昭和期10年より50年の40年間で自然繁殖したヘラブナを天然ベラ、地ベラと称し、その後に放流するものを養殖ヘラ、放流ベラと紹介する書籍あり。 昭和50年代に穴あき病というフナの病気が流行り、壊滅的ダメージを受けるなどの紹介もありますが、その頃より、各地に釣り会が発足し、ヘラブナは大事になります。 印旛新川にも新川慕情ヘラフィッシングクラブが昭和53年から、放流をして下さっています。 昭和60年代に入り、野べラの乱獲や環境問題、外来魚の繁殖など 現在につながるような状態になります。 添付写真は昭和44年、横利根川での尺以上のヘラブナとして紹介されているもの。 魚体をみていただきたい。40年前に、今と外見が似たようなヘラブナがいますよね。 ヘラブナ?合いベラ? 管理釣り場では、養殖種の選別をくぐったフナをヘラブナとし、かたちの崩れたフナを合いベラとしている。 歴然と、口唇の形状や鱗数から、合いベラと本物ヘラブナを分けて競技対象からはずすことをしている。 時代経過をたどると、養殖業者の専門能力の支えがあり、ヘラブナが成り立つ。 人為的操作を受けた魚が結局はヘラブナと思う。 |
||||
ヘラブナの起源・・終わりに 2009年10月12日20:45 |
||||
読んでくださりありがとうございます。 起源の最終です。 ヘラブナの起源は、明治後期の養殖にあり、ゲンゴロウ鮒と在来フナのギンブナと交配により河内フナを作ったを起源とします。 結局は現代の遺伝子分析、染色体の数(2倍体、3倍体)の証明により 科学的根拠がある説に従来より釣り人に語り伝えられている説がかなった訳です。 途中、有名どころの有名な学者が、断片的な知識で、釣り人に語り伝えられるヘラブナ発生説を中傷した感がいなめませんが、それが、ヘラブナの創世記の登竜門なのかもしれません。 しかし、先人からの伝え事をよくも、守ったなと感動する。 書籍により著者のヘラブナの起源に関しての姿勢が大きく違う。 読んでくださる方も、ご自分の本がどの意見に影響をうけているか。 検討をおすすめします。 個人的な趣向から昭和期の書籍から、「ヘラブナの起源」を探ってみました。 多くは、昭和37年 鈴木 魚心 著 「へらぶな釣り百科」岩崎書店 昭和60年 世界文化社 へらぶな 生態と釣法 からの抜き出しですが、鈴木 魚心さんの本は、有名どころですので、一読を進めます。 昨年の11月にマスターとみじより、ヘラブナ釣りの参考にと3冊の本をいただきました。その後、もう2冊ふえますが。 著者のみの紹介ですが、片山 和夫。内山 静舟さんの本です。 起源をまとめるにあたり、この方たちが、参考にしたであろう書籍を元に構成しました。 マスターとみじからの書籍が大いに役立ちました。 マスターとみじは滋賀県出身、幼少期において琵琶湖の思い出が多き人です。 僕は、母の実家が水郷潮来でしたので、幼少期によく、潮来、鹿島、延方に遊びに行きそれこそ、マブナ釣りをしていました。 ヘラブナは釣れなかった。しかし、炎天下の水郷を自転車でかけめぐっていた。そんな思い入れが多いフナの里です。 そんなヘラブナの有名所の思い出多き師弟に不思議な縁を感じました。 昭和44年 へらぶな釣り入門 東京出版の著者である関沢潤一郎さんは、潮来、延方出身で、郷土の人です。 その方は書籍にて釣り人詩人の佐藤惣之助さんから言葉を紹介しています。 「釣りを生活の基としている漁師を職釣家。一般釣り人を遊釣家。といっていますが文釣家ということばもあるのです。・・・釣りを通じて自然の風物を友とし、釣行で感じたことを、詩や画や文章にするゆとりを持って、魚族の愛護増殖に意を尽くし、すべての釣り人に愛される釣り人。これが文釣家」だと紹介している。 ヘラブナの起源とは、ヘラブナ釣り師の起源でもあります。 昭和期に始まったヘラブナ釣りに、このような釣り師としての範を後世に残してくださった事にも、感謝する。 昭和期の書籍から見るヘラブナn起源でした。 いくつかの質問は、マスターとみじの、「へらぶなの世界」の掲示板にどうぞ。 読んでくださりありがとうございました。 |
||||
黄金比率、神の法則とヘラブナ 2009年10月13日03:47 |
||||
ヘラブナの起源を読んでくださりありがとうございました。
奥ちゃんの印旛新川 へら鮒の起源は、遺伝子 染色体からの立証をもって、ゲンゴロウ鮒とギンブナ(2倍体)との交配。 養殖業者の選別の厳重化をもって、起源をまとめました。 1985年時にはギンブナの3倍体は知られており、交配実験が報告されていますが、2倍体の発見、報告がなく、交配に疑問があったわけです。 ちなみに、キンブナに3倍体がいること。 ニゴロフナとナガフナをキンブナの仲間にいれる研究者もいて、フナの分類には確たる証拠が薄いのかな。と思っています。 奥ちゃんは専門家ではなく、絶対ではないので、読んでくださった方の一考にかなえばよい。と思っています。 今、魚類の遺伝子解析は進んでおり、現在は、ヘラブナは、動物学上は、ゲンゴロウ鮒に分類されていますが、(ギンブナに分類されないのは、不思議ですが)交配種であることは、間違いないところなので、今後、どうなるのか、報告が楽しみです。 単に、外観的に口唇や側線燐などが、ギンブナやゲンゴロウ鮒とも違う中間的な形状を示しており、無理に分類しなくてもよいと思います。 ただし、今後、遺伝子学がすすみ、分析が進むと、今ある鮒の分類、 キンブナ、ギンブナ、ニゴロブナ、ナガブナ、ゲンゴロウブナを、体長、体高比、腸長比、サイハ、体色、分布、などに分けた1960年代の分類すら変更される可能性はあると思います。 現にギンブナをまとめて分類していますが、2倍体、3倍体、4倍体と、染色体的には別物と表記される紹介がありますから、やはり、時代の進行を待たねばならないかと思っています。 ただ、琵琶湖は非常に稀な淡水湖で、琵琶湖にしかいない魚種がいるから、ゲンゴロウ鮒も琵琶湖の名を残す意味で琵琶フナって呼びたいし、ヘラブナも琵琶銀ブナとかにしてもらいたい。 最後によく、形の崩れたフナって書籍にも登場するけど、失礼だよと思う。管理釣り場には、選別されたヘラブナがいるだけで、交配フナの事実は普遍だ。何をもって形の崩れたフナっていうのか。根拠を明らかにしていただきたい。 しかしながら、僕も、起源をまとめる前までは、ハーフを釣ってガッカリしていたから、ヘラブナを選別する一人ではある。 結局は、競技釣りの合いベラは検量外という養殖業者の選別、高級志向の産物かと思える感覚と思う。 言い出しの僕だが、ヘラブナの中には、本当に美しいと思えるヘラブナがいるのは確かなこと。 なぜ、ヘラブナに美しさを感じるのだろうか。 水彩画のとみじ、鉛筆画の奥ちゃんは、二人とも、絵を書く師弟で、釣りの腕も絵の腕も高めたい二人です。 奥ちゃんなりのヘラブナの美しさについて勝手なことを書きます。 ヘラブナを描こうとすると、大抵は迷う。 そして、ヘラブナの構図をとると、不思議なことに気がつく。 世に不思議な法則があり、美しいとか、落ち着くとか、そのような気になる時、必ずある法則が存在する。 それが、黄金比や白銀比、神の比と言われる比率です。 (詳細はネットで黄金比、白銀比・・検索で説明見れます。) 簡単に言えば、神殿や美人画、名だたる建造物の構図をとったらこの比率が生まれたわけです。 ヘラブナの構図にそれを用いるとヘラブナっぽく見える。鯉やマブナには適応できない構図がヘラブナにはある。 添付の絵は僕が書いたヘラブナです。 黄金比率をとり、曲線で結ぶ。 口唇や鱗数、プリプリした感じ、鱗の感じなど、いろいろとヘラブナの崩れた部位を見抜くより魚種のなかで、この比率を持ちえるヘラブナを賞賛し長く野でヘラブナを釣りをしたいと思うのです。 ちなみに、添付絵に5対8を10対16の長方形内に描いています。 目口、エラ、ヒレ、など基点になる点をとる時、長方形内の点にあわせると、バランスがとれるのです。 写真を構図にあてはめれば、より写実的かと思いますが、僕は、この比率の長方形内に描くと描きやすいです。 皆様はいかがですか? 以上、長いことありがとうございます。 黄金に輝き黄金比率をもつ印旛新川のヘラブナに魅せられている奥ちゃんでした。 |
||||
印旛新川 へら鮒の起源 黄金郷への誘い 2009年10月14日22:34 |
||||
自分の下手なヘラブナの絵を美しい。などとすいません。 黄金比に書くと、書きやすく、比率や構図を無視すると大抵はヘラブナが違う魚になる経験談です。 黄金にすると、野ベラっぽく感じる自己満足ですが、新川のヘラブナは黄金より白銀かな。ちなみに、白銀比もあって、日本の寺は5対8の比率がある。最後に、もう一つの自己満足を。 黄金比を持ち黄金色のヘラブナの棲む黄金郷への誘い(いざない) マスターとみじのページをご覧になって、印旛沼再生計画や水草の繁殖を促す減水計画を見たことありませんか。 日本一汚い沼は、手賀沼だと思っていた。しかし、2007年は印旛沼でした。というか、連続何年、ベスト5に入っていることか。 印旛新川は阿宗橋から大和田方面だが印旛沼の一部とも思える。 減水計画は今後30年続く計画。浄水計画の柱の一つが水草の繁殖でその浄化力です。詳しくないが、綺麗な水には酸素が多い。酸素が多いから綺麗になる。水中の酸素を消費するのも水草だが作るのも水草。 だんだん、綺麗になる計画が印旛沼では進んでいる。 今春、のっこみ期にとみじは減水でヘラブナの産卵が無事に済むか、うろうろと新川歩いていた。産卵できずに死んでしまうヘラブナはいないだろうか。と、口に出したか?でも、そんな感じ。 4月始めに産卵はあった。新川は放流だけの河川ではなく、産卵する河川。 釣りが目的の釣り師かも知れないが、バシャバシャと産卵する光景は、春の訪れを感じる、春が来た。と、ほっとする。 のっこみの時期にマスターとみじから、メールが入る。 「釣れなくていい。自然の営みを見てていい。お子さんにも見せてあげたい。」 バシャ、バシャと、産卵するヘラを無理無理釣ろう。とは思わず。 無事に出産しろよ。と、応援する感じ。だけど、次回、産卵する組は、餌、食べて。と、願う気持ち。変な感じに包まれる。 しかし、浄化が進めば、河川の水草が増えて産卵場所、酸素含有量、アオコの減少など魚の棲みやすい河川になると思う。 季節ごとに、変化あるヘラブナ釣りができる。魅力満載の印旛新川。 詳しくは、新川慕情ヘラブナフィッシングクラブをご覧ください。 簡単には、印旛新川のヘラブナは釣れないと思う。 僕は苦戦している。 仮に印旛新川のヘラブナってどんなの?と聞かれたら、迷わず、新川慕情会の1位のヘラブナと僕は答える。 どんなに釣れない日があろうと、印旛新川には、受け口、側線鱗32枚、張りのある美しいヘラブナ、巨ベラがいます。 今は黄金郷と呼ばれないまでも、呼ばれるに値する、印旛新川だと思います。 とみじの水彩画に黄金郷のようなヘラブナ釣り場を想像させる絵があり、ネットには、釣り方の紹介もあります。 是非、印旛新川へ。 添付は印旛沼、全国汚染ランキングです。 |
||||
へら鮒の起源・・・黄金郷への誘い編 外来生物法 2009年10月20日21:22 |
||||
現在、印旛沼は全国湖沼水質(COD)、ワースト5に、長期にわたりランキングされる沼で有名である。 黄金郷などと恥ずかしいが、汚れのメダルは先に、黄金色となってしまった。 しかし、環境改善の努力は、着実に実行されており、減水計画、水草再生計画など、釣り人の感じる変化もあるのだ。 印旛沼は千葉県民のうち140万人の飲み水の確保に使用されており、僕も印旛沼からの水道水を利用している。 地区のお祭りでも、これらをアピールし、命の水とたたえられ、認識を新たにしている。 今季の地元のお祭りで、以下なる看板をみた。 外来生物法 平成17年6月制定の法だ。 印旛新川にも浮島を作る 水草のナガエツルノゲイトウやオオクチバス、カミツキガメの特定外来生物を対象とする法だ。 懲役3年 罰金300万円以下 という罰則もある。 ブラックバスの愛釣者も多い印旛新川であるが、この罰則、厳しいのかどうか思うところだ。法律の詳細は、ネット検索で、即ヒットするので参照を。 印旛沼には漁業がある。 1985年当時 印旛沼にはワカサギ、ウグイ、オイカワの漁獲高がある。 2005年は、ワカサギが20年前と比べ1/7.ウグイ、オイカワは漁獲高0と公表された資料にはある。 この種の魚が、全て、外来生物のため減少とは、全く思ってはいない。 だが、やはり、在来種への影響があるとは思えている。 とうとう、法律規制と思う。 法律には、リリースの禁止が含まれている。 バスやブルーギル、小学生のころ、炎天下の中、釣りたくて、釣りたくて、、と、夢中になった方、僕も含め多かろうと思う。 漁業関係者の方の深刻な被害を想像しつつ、子供の頃、釣れば英雄視された魚種の時世の動きに驚嘆した。 農業用水路に繁殖し、水路の管理って、大変。 やはり、外来種って、強いと思った。 |
||||
印旛新川 へら鮒の起源 第2回 懇親釣り会に思うこと 2009年11月17日15:31 |
||||
印旛新川のへら鮒の起源は、昭和10年ごろの佐原地帯の養殖場から洪水により利根川に移入した河内フナだと思う。 その河内ブナが70年をかけて、その土地の特徴を受け地ベラとなり、現在の印旛新川のへら鮒になったと思う。 ゲンゴロウ鮒の放流や移入の記録は多いが、単純に純粋なゲンゴロウ鮒とへラブナは直接つながらない。なぜならば、ゲンゴロウ鮒の野生種を見た方、写真でも見た方なら、わかるでしょうが、ヘラブナではないから。ゲンゴロウ鮒にギンブナが入り、交配しその中の形のよいものを歴代選抜し、流通を整理したから、世に言うヘラブナとして認められるようになった。 関東には、ギンブナの雄(2倍体)が極端に少ないから、昭和初期に入ったゲンゴロウ鮒はギンブナとは交配できず、昭和10年ごろに入った河内フナ(2倍体のギンブナと2倍体のゲンゴロウ鮒との交配種)とならゲンゴロウ鮒は交配、繁殖ができる。 ここで、河内フナにゲンゴロウ鮒が交配するフナと河内フナと河内フナから生まれるフナができる。違いがあるのかは不明だが交雑がすすむ。 そして、河内フナの流れを受ける一大フナ勢力が関東のマブナの世界に入り、現在のヘラブナや合いベラ、マブナの世界を生んだ。 そして、交配が進む中にあって、河内ブナの優良種というべき、現在は管理釣り場に高値で取引される側線鱗32枚、受け口、などの特徴を持つ優秀な河内フナの子孫が印旛沼、印旛新川で自然繁殖する。そして、新川の影響を受け、地ベラと称され新川に生きている。 50年程前から、合いベラ論争という争いがあり、厳密に、放流用と管理釣り場用のヘラブナは選別されるから新川で自然繁殖する側線鱗32枚のヘラブナは正に天然、自然のヘラブナで貴重と思う。 懇親釣り会では、厳格に、ヘラブナとハーフの選別を管理釣り場の競技会並みに行うだろう。 マスターとみじも加わるから、きっと、側線鱗32枚、口唇などの特徴を持ってハーフとヘラブナの判断をするだろう。 印旛新川には、優良種(管理釣り場出荷のヘラブナ・側線鱗32枚、受け唇)の特徴を有したヘラブナが丸々と太った、スレのない美しい姿を持ち生存している。野釣りならではの最高のヘラブナがいる。 今、参加者は30人を越えているようで、その参加者が一斉に、ヘラブナを釣り上げるような釣りをする。 見ごたえがあると思う。 今、放流している、管理釣り場に出荷できないヘラブナは、ほとんどが、側線鱗31枚以下のヘラブナ。それに対し新川の地ベラ、ヘラブナは、異種堂々の側線鱗32枚、受け口、体表面が立派なヘラブナだ。 人為的に選別された養殖種の側線鱗32枚に対し、70年ほど自然環境下で生き抜いてきた野生種の側線鱗32枚の地ベラは美しい。たくさんはいないのが残念ではあるが、乱獲や環境破壊など、琵琶湖のヘラブナは10000粒の卵からヘラブナの成魚になるのは、一枚と推測し紹介する本もあるぐらいだから、新川の地ベラ、側線鱗32枚は貴重だ。 印旛新川にそのヘラブナが生存、繁殖しているのが嬉しい。 是非、懇親釣り会で、そのヘラブナを釣り上げ、釣れていない僕に見せていただきたい。と、願っている。 いつまでも、昭和初期からの流れを受ける印旛新川であってほしい。 そして、いつまでも、印旛新川の地ベラ、新川のヘラブナを目指して釣りを続けたいと思う。 |
||||
印旛新川 へら鮒の起源 放流 2009年12月06日09:02 |
||||
今年も印旛新川にヘラブナの放流が行われた。印旛新川の新川慕情ヘラフィッシングクラブの方々の経済的、情熱的な支えにより行われる。
この放流は、もう30年続く事業になっているそうです。 詳細はマスターとみじのコーナーをご覧ください。 新川は大変恵まれたことに、産卵する河川であり、ヘラブナが成長する河川。当日、朝には放流に集まった釣り人から、大型のヘラブナが釣れた。毎数上がっているなど、僕が一年で釣り上げるヘラブナを一日で釣り上げる方もいて、地元釣り師の情報、情熱を感じる。 そのヘラ師に答える、ヘラブナの量の多さを身近に感じる時だ。 新川は産卵する河川であり、自然増殖が認められる河川。 僕も32枚側線鱗の手の平サイズのヘラブナを釣って、多くの管理を受けない一般河川では貴重な事と思える。 ヘラブナの放流は、やはり、ヘラブナの恒例行事である。 昭和初期には、ヘラブナは関東にはいない。今いるのは、みんな、養殖場から逃げたヘラブナか放流したヘラブナの子孫。 誰かが琵琶湖、琵琶湖周辺から取り寄せないとヘラブナは関東にはいない歴史的事実を、放流事業は物語ってくれる。 今日は友人たーさんと参加した。そして、釣友たーさんとマスターとみじと僕で同じ、シートを手にもち、養殖場からのトラックから新川に放流されるヘラブナを水しぶきをあびながら見ていた。 この人的な行為(養殖場から一般河川への放流)がヘラブナの成り立ちなのだとかみしめていた。 僕とたーさんは同じ歳だから、マスターとみじの約半分。僕ととみじを足した数がおおよそ、ヘラブナの歴史に相当する。明治後期にヘラブナが養殖され始め、全国各地に現在まで続く放流事業になる。 植物プランクトンを食べ、巨大化し繁殖する魚は、時代によっては、貴重な蛋白源として重宝されたし、何らかの理由で突然発生する病気による大量死を補う手段として、放流は、貴重かつ重要な事業だと思う。 一般河川でヘラブナが繁殖する観点から言えば、1,2年の魚を輸送するより、産卵後の数万の卵のまま、輸送した方が多量に輸送でき、輸送によるストレス過多を防ぐ不安ない方法と思うが、一般河川への定着率の問題からだろう。ヘラブナの稚魚が育つには、一般河川の水質、捕食魚、川鵜などは過酷な問題になると思う。 無事に放流は行われた。 放流代金を支払い、放流を終えた後、魚の波紋が広がる水面を見て、感動的と思った、関西からの長旅を終えたヘラブナさんに、長く、新川に住んでね。と、念じた。 ふと、僕と釣友たーさんの前を、白髪かかる二人の釣り人が釣り場に向かう、背筋は伸び、釣り道具を力強く運ぶ。 二人とも、釣り会の大御所で、実績充分で釣り師の迫力ある後ろ姿に言葉を失うほどの迫力を僕は感じた。 ふと、たーさんが、俺らも、あんな感じになれるよ。と、言う。嬉しく照れるが、内心、えっ、僕のヘラブナ歴はまだ、1年だが、たーさんは、既に25年ほど、あと40年位やるの。と、その一念に驚く。 俺は、素人のまま、新川に釣り糸をたらす釣り人でいいかな。と思っているが、その大御所達は、元ヘラブナ専門誌の記者さんや、釣り会の優勝者。たーさんのその自信と目標の高さは、何。と、又もや絶句。 ふと、僕の師匠は、イヤー、もう12月だよ。今日、オデコなら困ったなー、と、何だか陽気。坊主でニコニコ、楽しそう。 僕は別に師匠が釣れてなくても全然、気にしないけど、師匠は、オデコを気にするのだなーと新発見。 いつでも、釣れるさ。へらぶなの波紋に、僕の心の波長が重なる気がする。 養殖魚が地ベラになった時、勝負してみせるぜ。と、今なら、竿に仕掛けをつけないで釣り座に座っても、釣った気分になれるほど、気分は高揚している自分にあわてなくていい。と言い聞かせる。 管理釣り場ではない、ここは野川、新川の水で体を作ってからが、野ヘラの釣りだ。 野ベラ釣り師の迫力と師匠のにこやかさが印象的な放流だった。 年末の放流は、新年へのカウントダウン。 冬へらに備えた心の準備を加速させる放流。印旛新川の毎年の恒例事業の放流。新川の底力の一面を感じる僕には意味深い放流事業だった。 添付は放流バッチと放流のヘラブナです。 |
||||
印旛新川 へら鮒の起源 放流 再考 2009年12月06日20:15 |
||||
10月から、印旛新川のへら鮒の起源ということで、マスターとみじのご支援もあり、掲載させていただいている。
今日、地元の印旛新川ヘラフィッシングクラブの大いなる力の支えにより、ヘラブナの放流が行われた。 僕も参加し、参加後、ヘラブナ釣りを楽しんだ。 ハーフが多く釣れたが、残念ではない。 放流があったからこそ、このハーフが釣れるのだ。 放流が無ければ、僕は今日、口細とギルしか釣れなかった。 釣り竿を握りながら、漠然とした、つかえていた物がはっきりした。 それは、ハーフされどハーフ。放流のおかげである。ということ。 今、印旛新川を支えているフナは、数的にもハーフ(側線鱗31枚以下で管理釣り場には流通しないヘラブナ)である。 ここに、提言をするが、仮に、新川で、放流が無ければ、フナ族は釣りの対象魚にさえならないほど減少したであろう。 考察してみた。 放流が無ければ、印旛新川のフナ族の総数維持はできない。 繁殖の+より、死滅する−が多い。から。 なぜ、−が多いかと言うと、幾人かの釣り人の証言で、魚の総数自体が新川から減っている。実感を持って明言できるというから。 関東には、ヘラブナが放流されない前は、マブナが主流だった。 ご存知のとおり、マブナはキンブナとギンブナの総称である。 そして、関東にはマブナの雄がいない。ほぼ全て、3倍体という雌性発生する遺伝を持つギンブナだから、ギンブナの子は完全にギンブナ。 関東のギンブナからはハーフ。合いベラは学問上、絶対発生しない。 キンブナは現在では絶滅危惧種に指定を受けるほどの稀少性、繁殖の魚数が少ない。 だから、僕は放流によるヘラブナの増加が無ければ、現在、多く釣れているハーフすら、いない。少ない。新川になっていたと推論する。 そんなことないよ。という反論大歓迎。そのほうがいいし、大歓迎。 放流種のハーフが産卵するから、新川のフナ族は総数的に維持ができる。 なぜならば、産卵場が護岸工事、水草の減少、産卵水域の水質の悪化で減少しているから放流魚(成魚)を放流しないと、受精卵から孵化の過程を得る自然発生分では絶対に足りなくなるためだ。 仮に、印旛新川にいるフナ族を以下のように分類し再考しよう。 @ 昭和初期の放流からの流れを受ける側線鱗32枚、受け口の天然 ベラ、地ヘラ。 A 昭和初期からのハーフ。 B 昭和前から自然にいるギンブナ C 昭和前から自然にいるキンブナ D 昭和50年前半からの年間2000kgの放流ベラ 不足かもしれないが、今、印旛新川はDのフナが自然交配して、新川のフナ族の主軸になっている。と見ていいと思う。 @ABCで、新川のフナ族は維持できるだろうか? 僕は大変厳しいと思う。 理論に乏しいと思うが、Dがなければ、現在の新川は成り立たないと思う。 お読みの方は、どう思われるでしょうか。 僕は、ハーフを多く釣っている釣り人ですが、自然繁殖する河川と新川を評価する一方で、新川慕情会の放流の実績は絶対にある、と思っている。 ハーフを釣る時、いわゆる側線鱗32枚は、管理釣り場に流通するから、このハーフは、放流実績の賜物と思うようになった。 |
||||
印旛新川 へら鮒の起源 放流へらぶなと地へらぶな 2009年12月14日12:53 |
||||
|
||||
PANZO のコメント 2009年12月14日 19:15 |
||||
|
||||