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平成19年5月16日更新 |
このページは縦に約100頁に相当する長さです じっくりご覧ください |
大正3年(1914)10月22日 5万人の大観衆の目前 滋賀県八日市町郊外の沖野ケ原飛行場から一機の木造飛行機が飛び立ちました |
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翦風号資料 | イラスト模型 | 設計図 2006/3/17追加 |
収集品 | 地 図 | プロフイール | ||||
イベント 翦風号を蘇らせる会 |
イベント 中川 三治郎さんを励ます会 |
NEW翦風号復元機 画像28枚発表 |
7/25更新 日本大正村に保管 日本大正村のHP |
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2006/11/1更新 航空関係リンク集 民間個人サイト |
航空関係リンク集 官 庁 フランス博物館 |
ランチャーズHP ランチャーズの掲示板検索には「翦風号」と記入 コピーして貼り付けてください |
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翦風号(東海放送) | びわ湖放送 | 岐阜八尾津町ケーブルTV放送 | ||
製作の記録 ビデオ | 分解 工程 ビデオ |
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平成18年7月24日追加
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翦風号(東海放送) 2006年5月17日放送 |
平成18年4月24日更新 最新ニュース |
新翦風号の復元機 九気筒80馬力 二人乗り NEW翦風号復元機 4/21日本大正村に機体を移動 この五月連休に展示発表 今日21日(金曜日)は関係者にとって記念すべき一日となった NEW翦風号は岐阜県恵那市明智町にある 日本大正村へ移動した |
平成18年4月20日更新 滋賀 報知新聞 新翦風号の復元機 九気筒80馬力 |
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エンジンも九気筒80馬力に、座席も二人乗りに変更 身も心も身奇麗になり再出発を待つ翦風号 |
中川さんの遺影を手に万感胸に迫る思い |
ひだり大脇さん、中川さんをはさんで冨田夫妻、 遺影を手に中川さん、運搬を担当された 運転手さん |
メーター類、操縦桿は全て本物 |
九気筒80馬力 二ヶ月をかけ製作 前回発表のエンジンと見比べてほしい |
大正十年八月の文字も見える本物のプロペラ |
NEWエンジンを搭載した翦風号 |
一時保管場所岐阜に到着 |
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取 材 |
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取 材 ひだり大脇さん、中川さんをはさんで冨田夫妻、中川さん、運搬を担当された運転手さん |
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新翦風号の復元機 九気筒80馬力 二人乗り プロペラ、操縦席のメーター類、操縦桿は本物 |
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大正3年(1914)10月22日 5万人の大観衆の目前 滋賀県八日市町郊外の沖野ケ原飛行場から 一機の木造飛行機が飛び立ちました 今から90年前、ライト兄弟の初飛行からわずか11年後のことです 飛行機はフランス製の旋風号 パイロットは若干28歳の若者が、私財を投げ打ち、 フランスに渡り8ケ月間飛行学校で 操縦訓練を受け、ライセンスを取り単葉飛行機(旋風号) を一機購入して帰国した その人が若き荻田常三郎 一昨年夏 その翦風号を復元し 次のニ会場で別々に発表したものであります
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I |
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読売新聞 | 滋賀報知新聞 | 滋賀報知新聞 ネット |
滋賀報知新聞 | 朝日ジャーナル ノンフイクション賞 入選作品 |
平成15年7月18日 脱稿 |
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これだけの作品をイベントの発表の場だけで終りにするのは 実にもったいない 更に二つの機体の保存先が決まっておらず 今もって倉庫に眠っているのは甚だ遺憾な事だと思います |
ページの編集は2006年正月より日々更新していきます 凡そ1月20日頃の完成となります 資料が膨大なため整理しながらの発表となります |
製作前に完成した翦風号骨組(模型)20分の1 |
流麗さが漂う見事な翦風号実物大模型 |
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エンジンは草刈機で代用し本物のプロペラが回る 第一号機のエンジンは7気筒でありプロペラとエンジンが同時に回った 製作者 冨田 彦一 |
この企画はサイト管理人でありますTomiji(彦一の弟隆司)が 一昨年(2004年) 夏のイベント会場で、八日市飛行場でこの様な事実があったとの事実を 展示資料で知り感動したものであります この発表を只、弟の立場で企画したものでは無く 此れだけの歴史的な事実を国、県、市を含めて何処も このイベントで復元した貴重なこの翦風号を 何処かで保存し、展示しょうとの動きが一年以上経った今現在一切無い事に対して このサイトで発表して広く 世間に呼びかけよう! との想いで企画したものであります |
A
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小さい画像は全てクリックで拡大します | |||||
翦風号が 空を飛んだ日 中島伸男著 抜粋 | ||||
中島伸男著 | |||
翦風号はどこから飛んだか 抜粋 | |||
翦風号製作メモ(2005.5.1) 中島 伸男 記 |
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B |
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C |
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翦風号設計図(これ以外は無し) 設計図解読は至難を喫し実に数ヶ月を要した その経緯は後日イラスト入りで発表します |
上記資料に基づき独自に解読して作製 設計図解読は至難を喫し実に数ヶ月を要した |
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D |
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このページの資料は全て 翦風号を蘇らせる会代表中島伸男氏 の収集されたものです |
沖野ケ原飛行場見取り図 クリックで拡大 |
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イベント G |
このページの資料は全て冨田彦一の収集したものです |
旋風号第一号機の復元にあたり 先ず飛行可能な機体構造を前提とする 軽量、安全な強度 運搬 容易な組上構造 中でも最重要は正確なる胴体重心の位置確保であり全てが難問である 機材の選択に各地への奔走を重ね 夜夢の中にても解続し得乍ら 独自の工法で製作を進め展示予定目前の7月20日 全て完成するに至った 茲に初めて公表し展示に向けて友人の協力を求めた 幸い新聞社々長 公民館長 各界からの全面支援を得ての 展示会は大成功を納めた 引き続いて試験飛行をも含めた 第2回展示会(エンジンはアメリカ製自家用軽量エンジン有り) の開催を目標に中川氏の要望の綿密な計画中入院され 病室尋ね二人して協議を進め乍ら 一ヵ月後の10月2日 実現叶わず万感の想いを残して他界されたる事は 返す返すも残念であります
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イベント F |
県立八日市文化芸術会館(青葉町) 2004年8月13日〜17日 模型で翦風号を忠実に復元 クリックで拡大します |
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左の写真は私Tomijiが 取材時に撮影 したものであります |
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右端が中島伸男氏 |
この旋風号は 第二号機です エンジンは回転せず 九気筒 |
翦風号を蘇らせる会 作業工程 |
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2004/10 八日市高校 (翦風号が初めて飛んだ場所での展示) |
2005/10。 90年前に翦風号が飛んだ 八日市南高校に 模型の旋風号を展示 |
2005/ 東近江市の「八日市大凧まつり」で展示 |
2005/ 東近江市の「八日市大凧まつり」で展示 |
翦風号製作メモ(2005.5.1) 中島 伸男 記 |
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2004/10 岐阜 各務原からの訪問客と共に |
翦風号を蘇えらせる会メンバー(15名)の一部 2004/3 東近江市聖徳町の工務店作業所前で |
2004/10 八日市高校で展示 右端が中島伸男氏 |
H |
中 川 三 治 郎 氏 2004年10月2日没 |
戦争遺品の収集家 氏の戦争遺品収集の数は10000点に及ぶ この膨大な収集資料はご遺族が県に寄贈 平成20年着工予定の平和記念館にて展示される予定です プロフイール 一部資料依頼中 八日市尋常小学校卒 青年学校 軍の八日市飛行場整備工場に勤務 この年の8月終戦 給排水設備工事業 中川設備工事業を設立 昭和59年業務中屋根から転落 脊髄損傷 54才の年 2年間入院も快復せず この事故が元で車椅子生活 中川設備工事業廃業 平成16年2月末冨田彦一に翦風号実物復元依頼 翦風号第一号機エンジン (平成3月中旬完成) 翦風号実物復元依頼 (条件として本物のプロペラ、メーター、操縦桿を用いる) 平成16年7月22日完成 平成16年8月13日〜17日 八日市公民館展示発表 平成16年8月22日体調悪く検査入院 平成16年10月2日逝去 |
冨 田 彦 一 |
昭和2年2月8日生 昭和14年 ラジオ(真空管)式組立始む 昭和19年 音響設備 無線機製作 貸出出張始む 昭和25年 電気工事 溶接 映写機各免許取得 昭和27年 農用動力三輪車発案製作 (昭和32年より発売される小型三輪のモデルとなる) 大型ニ種免許取得(消防車の正運転手に採用) 昭和32年 温室園芸始む(洋蘭 観葉植物 盆栽 花木) 貸植木業を始む 昭和45年 造園業始む 平成4年 水墨画家 西村勝広先生 野中健二先生より師事 平成16年 翦風号復元完了 |
中 島 伸 男 氏 |
翦風号を蘇らせる会代表 1934年生まれ 元八日市市編纂室長 野々宮神社宮司 八日市郷土文化研究会事務局長 ねっからの歴史好きです 荻田常三郎 熊木九兵衛の足跡を丹念に辿り ノンフイクション作品にもまとめました 現在は 陸軍八日市飛行場の歴史を何人もの人々から 聞き取り記録しながら いずれ一冊の本にして残して行くことを念願にしています |