へらとの付き合いはざっと30年
 絵とは幼少期。学生時代からの60数年〜


  

 
 20代には。サークル(東京パレットクラブ)に参加し、一時期100名近くのマンモスサークルを運営し、一水会の松田文雄先生、大調和会の佐藤保春先生を講師に招き、グループで指導を受けた。

 グループ展、個人では、東京都民美術展受賞、大調和展入賞を果たし、二科展では作風の違いで出展を諦めた。

     

 趣味として、登山、海釣りを数十年、その後へらぶな釣りに嵌まり、野に、河川に、山行に、釣りにと出掛けた。

 
その折に想うのは、何時も方々で眼にする自然の風景の余りの美しさ、写真で保存するには余りにも勿体ない。

 


 その頃から重いスケッチ函を担いでの登山で下山を忘れて移り変わる山の風景を描いたり、つりの合間に一番釣れる時間を逃してのスケッチでその日は何時も坊主であった。

 その後、ヘラがウジャウジャ居ても釣れない管理池のへらぶな釣りに嵌まり、その難しさ、その競技と面白さに、暫し我を忘れ、作画をも忘れた。

 平行して、見よう見まねで、へら浮きの製作に取り組み、孔雀、かやと卒業して!!
かんざしの研究課題に明け暮れ今日に至る。

 
 後、数年で退職の我が身を振り返ると、何時までもへらぶな釣りに嵌っているばかりいる訳にはいくまい。

 
これからは、心を入れ替え、今までに蓄えた記憶、写真等を元に、つりの風景を水彩にて描き、それらをホームページにて公開しょうと大それた考えを企てた

 この年になり、何よりも苦手だった学校に行くとは思いもよらなかった。
学校=日本パソコン学院アビバのホームページ作成講座』
     




 五臓六腑、震撼辛苦、四苦八苦とはこのこと、難解なパソコン相手に、やっと!や〜っと!!公開にまで辿り着けた!!

 欲が出て、あれも此れも出したい!その気持ちをグ〜ンと飲み込んで取り敢えずトップページをアップロードして公開出来た。この喜びは本人にしか分からない。

 釣り場で
感激感動した想い出のシーンを、「へらぶなの心が分かる」そんな絵師が水彩画で描いてネット公開し、へらフアンに少しでも愉しんで貰えたらとのそんな大きな勇気を貰い、ホームページ作りに残りの人生を掛けてみようと、そう思うこの頃です


印旛新川
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 追記
 表題の絵は、へら専科1993年9月号 専科ギャラリー 240〜241頁に2頁カラーにて登載されたものであります。

 
かんざし浮きは、へら専科1994年新春2月号『現代釣技 徹底追跡』半カラー4頁に登載されたものであります

へら専科1993年3月号 読者投稿『私の釣り日記』作者 山咲与志夫(故人)
私と、かんざし浮きが描かれている。そっくりです。作者は、絵も文章も上手い


プロフィール

滋賀県東近江市(旧八日市市)出身
千葉県船橋市在住
昭和16年生
冨田隆司


リングネーム
Tomiji

 平成17年5月11日開局